外科当直。3:00am。日本語って難しい。
看「すみません、内科病棟なんですけど、内科当直の先生に、挿管中なので外科の先生を呼んで、と言われたんでお願いできますか?3A病棟です。」
医「はい。行きますね」
そうか、内科の先生忙しいんだな、ほかのところで手はなせないなら手伝わないと、と行ってみたら、なんと挿管トラブルそのもののヘルプ要請だった。
派手なトラブルだったけど、とりあえず修正。診断とこれから起こりうることと対処法を内科の先生にお伝えして終了。
それにしても、ちょっとした言葉の違いで伝わるニュアンスが違うから注意が必要だなと。脳内で自動的に、
「内科病棟なんですけど(内科の先生じゃなくて外科当直をコールしたのは)、内科の先生に、(ほかのところで)挿管中なので(手が離せないから)外科の先生呼んで(指示もらってくれる?)、と言われた(からな)んで(す)、(病棟きて患者さん診て指示)お願いできますか?3A病棟です。」
と挿入して解釈していた。
「3A内科病棟です。挿管で人手が要るので来てもらえますか?」
と言ってもらえればわかりやすかったんだけどなぁ。
最初のセリフの「なんですけど」は単に相手の出方みるような気持ちで前提を置く時にもよく使うけど、本来は逆の意味をつなぐ接続詞だから、あとに続く逆の意味の文がないと、勝手な挿入解釈が起こる。
「挿管中なので呼んで」も一見ふつうに接続しているように見えるけど、実は「挿管中なので人手がいるので呼んで」とも「挿管中なので手が離せないから代わりに他の人呼んで」とも解釈することができる。呼んで欲しい直接の理由が、「なので」で接続されていなくて、それを解釈するには、文外のコンテキストが必要。だから前提を間違えると違う意味になってしまう。
日本語ってガチガチに細かいこと言わなくても、なんとなくふわっと接続詞でつなげたり、語尾に含みを持たせるたりして、お互いわかった気になれるし、細かい相違点をいちいち気にせず回避できるから、日常生活では便利な時もある。そして日本語を母国語とする人にとって、そのふわっとした言葉づかいでも、コンテキストからその場と自分に都合のいい文意を、自動的に汲み取る機能は無自覚に強力だ。なので厳密なコミニュケーションが必要な時は、逆にそのふわっとした言葉づかいが入ってこないようにしないといけないと思う。
まあ、それをやると、日本語の曖昧性に無自覚な相手にうざがられたり、話が通じないやつだと逆ギレされる事が多々あって辛いのも事実ですが笑。
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